院長手記
口腔外科医だった私が、
なぜ「入れ歯の沼」にハマることになったのか
技術の過信と、最初の挫折
私は岡山大学歯学部の口腔外科学講座、いわゆる「切る」専門家としての道を歩んでいました。大学院卒業後、お礼奉公として派遣されたのは、岡山県中央部にある田舎の病院でした。
そこで突きつけられた「名医の条件」は、大学での研究とは無縁の、極めて実務的なものでした。
「抜歯がうまく、入れ歯が上手いこと」。
口腔外科出身の私にとって抜歯は日常でしたが、入れ歯は学生実習以来、4年近く触れてもいませんでした。しかし、前任者が残していった「入れ歯待ち」のケースは約30床。逃げ場はありませんでした。
学生時代の「STEP帳」を片手に、必死の格闘
作り方もわからず、学生時代のノートを引っ張り出し、片っ端から入れ歯を作りました。しかし、結果は散々。「痛い」「落ちる」「口が閉じられない」。大学病院で難症例を扱ってきた自負は、音を立てて崩れ去りました。
そんな中、あるおばあちゃんだけは、セットした後も一度も不平を言わずに使い続けてくれました。
数日後、「少しだけ当たりがあるから」と来院されたおばあちゃんのお口を見て、私は息を呑みました。粘膜が傷だらけだったのです。
「なぜ、もっと早く言ってくれなかったんですか?」
「せっかく先生が一生懸命作ってくれたんじゃ。
私の口が悪いから、我慢せんといけん思うて……」
衝撃でした。自分は歯科医師でありながら、この人を救うどころか、その優しさに甘え、痛みを強いていただけだったのか。
「せめて、入れ歯くらいはまともに作れるようになろう」。
研究に戻るつもりだった私の心に、臨床家としての意地が灯った瞬間でした。
他科の待合室で繰り返した「特訓」
そこからは試行錯誤の毎日です。診療の空き時間を見つけては、内科や整形外科で順番を待っているおじいちゃん、おばあちゃんにお願いし、歯型を取らせてもらう練習を繰り返しました。
さらに、どうしても壁にぶつかっていた「噛み合わせ」の取り方について、ある本で紹介されていた「治療用義歯」の手法に一筋の光を見出します。
「これを知っている先生を紹介してくれ」。
地元の技工所へ通い詰め、土曜日は自分で車を出すからと頼み込みました。半年後、ようやく許されたのは「面接だけ」。そこで巡り合ったのが、私の歯科医師としての「もう一人の親父」となる師匠でした。
入れ歯の限界を知り、インプラントへ
毎週土曜日、師匠の元へ通い詰め、金属床やコーヌスデンチャーといった高度な技術を吸収しました。入れ歯がプレッシャーではなくなり、自信を持って提供できるようになったある日。
私が入れた自慢の金属床の入れ歯が、噛む力に負けて、ちぎれて戻ってきました。
「先生、それが入れ歯の限界なんだ。
だから私はインプラントを始めた」
師匠のその言葉に、再び衝撃を受けました。それまで口腔外科の視点で「トラブルが多いもの」と敬遠していたインプラントを、一から学び直すきっかけとなったのです。
入れ歯を極めようとしたからこそ、その限界がわかる。限界がわかるからこそ、インプラントという選択肢の価値も正しく判断できる。この一貫した臨床哲学が、今の私の根底にあります。
師匠の教えを、今の診療に込めて
3年前に亡くなった師匠の教えは、今も私の指先に残っています。
「お口が悪いから我慢する」という患者さまを、もう二度と出さないために。口腔外科の精密さと、泥臭い努力で培った義歯の技術。そのすべてを、あなたの「噛める喜び」のために捧げます。
― 院長 大月 要